ひらめきの行動 Part.4

 
人間の知恵などタカの知れたもの
 

「人は石垣、人は城」   

戦国の武将・武田信玄の言葉とされるが、一国のもっとも重要な財産は、人的資源、
つまり人間である。
とりわけ、わが国のように天然資源のない国では、優秀な人材の育成が必要とされて
いる。教育が重要視される所以である。
しかし、日本の教育制度は、優秀な人材=すなわち経済活動に貢献する人を育成する
ことにこだわり過ぎてはいないだろうか。
トランジスター商人からエコノミック・アニマルまで、様々な悪意の込められたニックネーム
をもらいつつも、日本人は世界第一の経済大国を建設してしまった。
それはそれで評価されることではあるが、その一方で、人間としてもっとも大切な部分を
育てる努力が欠けているのではないか。
最も大切な部分とは、人の心である。
他人のことを思いやる心、本当のま心とは何かを知ることこそ人類を幸せに導く原動力
であり、いわゆる知識教育など、それに比べれば些末なことでしかないのだ。
科学技術が人類を幸せにする最大の手段だと思う人が多いようだが、これはとんでもない
話である。
人間の知恵や知識がカバーできるのは、森羅万象、全宇宙の情報の二割にしか満たない
というのが、私の考えである。
後の八割をカバーするのは、大宇宙、小宇宙、そして人類一人一人に一貫して流れる
「心」なのだ。
それが理解できていない限り、日本の教育に未来はないと言っていいだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

人間本来の生命力を甦らせる超念力

 
今の若い人達、子供達はケガをしないという。
私が子供の頃は、スリ傷、切り傷など絶え間がなかった。
しかも、少々のケガなら、ツバをつけりゃ治るといわれ、その通りにしてきたのである。
スリ傷の跡には、カサブタができる。
傷が治りかけた後の何とも痛痒い感じを覚えながら、カサブタを剥ぎ取った経験を持つ
人が、どんどん少なくなってきた。
どんな小さな傷でも消毒し、軟膏を塗り、簡易絆創膏を貼るから、カサブタなどできようも
ないのだ。こういった過保護の中で育った人間は、結局のところ、環境への順応性を
失ってしまうと私は考えている。
そして、何より問題なのは、生命体が持つ己の生命を守ろうとする力が文明の進歩に
伴い失われていくという点だ。
すでに述べたスリ傷に限らず、人間には他の動物と同じように自然治癒力が備わって
いた。昔から、風邪を引いたときには、「暖かくして、寝ているのが一番」といったものだ。
実際の話、それて゛治る。体調を崩した動物が丸くなってうずくまっているのと同じで、自然
治癒力が少々のバイ菌やケガを撃退してしまうのだ。
ところが、今は医療や薬に頼り過ぎるため、自然治癒力がすっかり怠け者になって
しまっているのだ。
ある医者が言った言葉を、私はある種の好感をもって記憶している。
「病気で入院したとしますね。医者があれこれ手を尽くす。それで治る確率は
五分五分です。しかも、治るのは医学の力じゃない。その人の持つ治す力なのです」
彼は 「こんな事を言うと医者不信に陥る人が出てくるかもしれませんけど、正直な
ところです」 と、後で付け加えたが、私はだからといって彼に不信感を抱かなかった。
実に正直で謙虚な医師だと思えたためである。
医師が施す治療は、あくまでも人間の生命力や、自然治癒力の補助の役割を務める
ものであるというのが私の考えである。
「病は気から」と言うが、病を治すのも気力、本人の力だ。
一方、私が授かっている超念力は、宇宙すなわち人間を営む生命体の母体からの力で
ある。つまり、生命の持つ力の源であるのだから、言葉を換えれば、生命力や自然治癒力
の根源と言ってもいいのだ。
私は宇宙の力に従って、超念力を活用することができるし、また世の中を見据え、未来を
見通すこともでき、そのことを語ることもあるが、予言者ではない。予言者と私とどこが
違うか。彼らは、悪いことばかりを人々に告げ、やたら人心を惑わせる。
ノストラダムスしかりである。宇宙の心の法則は厳然としてある。悪の予言は、タブー
なのだ。私は、いいことは早く教えるけれど、悪いことについては語らない。
悪い情報を流すことにメリットはないからである。
未来に破滅が待っていると言われて、これでは積極的に生きようとする人がいるだろうか。
自暴自棄になるのが関の山である。
そしてまたマイナスの思考をするから、事態が悪くなるのであって、プラスの思考を
していれば、悪い状況を切り抜けていくことができるのだ。
 
 
 

ESPは永遠の力だ

 
超念力は、人間世界に限らずあらゆる生命の世界、そして生命が宿らぬ世界と考えて
きた無機物にも影響を与えることまでは、私の理解の範囲である。
しかし、その限界がどこまで広がるかは、私にも判らない。
大宇宙の神秘や謎が解かれつつも、更なる大きな謎にぶつかっている現在、超念力も
その謎と同じほどの奥行きを持っているのではないだろうか。
ある人は、私の講演をビデオで見ていたとき、電源を切ってあるもう一台のテレビに
私の顔が映っていると報告してきた。
現在、この宇宙に存在する力は、万有引力と電磁力、そして素粒子間の相互作用の力の
三つといわれている。
超念力が電磁的性質を持っているのであれば、電源の切れたテレビに像を結ばせる
ことは苦もないことだ。
では、このことは一体何の意味があるのか。
超念力が無限に応用できることを示唆しているのだ。
かつて、私は大型コンピューターの修理を依頼されたことがある。
「そんなことは、工学博士のあなたがやればいいじゃないですか」と依頼主に言うと、
「先生は、うちの父親の膀胱癌を治してくれたじゃないですか」と迫る。
なるほど考えてみれば、膀胱癌も、コンピューターの故障も、素粒子レベルでは同じ
次元である。マニュアルを開かせ、ページ数を思い浮かべた。六八、と浮かんだ。
「その六八ページの図のところを修理したらよい」
しばらくして、「先生のおっしゃる通りでした」と電話がかかってきた。
透視能力もあるのだ。
すでに述べたように、ワンダーシールを電話機や電気、ガス、水道のメーター類に貼る
人が多くなった。シールを貼ると、使用量が低下するからである。
とすれば、さまざまな産業に活用することもできるだろう。
このような現象は、実際に体験したことでなければ、到底信ずることができないだろう。
しかし、現実に起きているという事実の重みは、無視できないはずである。
私自身、超念力を授けられた時から、今日まで、超念力の持つパワーの偉大さに驚く
ことが、しばしばである。
そして、その応用の範囲の広がりは、日進月歩なのである。
であるからこそ、私は、このような現象があっても当然だと思っている。
なぜなら神の力に不可能はないのだから。
こう考えると、超念力は無限の力を秘めているということになる。
その力を活かすことこそ私達ESP関係者のみならず、すべての人々の幸せにつながる
のではないだろうか。
そう思い、またそう願いながら、私は今後も活動を続けていくのである。