ESPの心を永遠に Part.3

 
感謝のま心は、形で現わすこと
 
私は宗教になぜか無関心であるが、清純な宗教や道徳の教えを受けておられる人に
接したり、また、人に話しておられる言葉や動作を傍らで見ていると何だか温かい
軟らかい雰囲気を覚えてくる。
宗教も古より伝来のものと新興のものを加えれば驚く数で、我が国には数百人の組織の
宗教法人を合算すれば二十数万あると聞いている。
海外諸国にこんなに沢山の宗教があるだろうか。
私が知る範囲では十指は無いと思う。
日本はよほど想像の世界が好きと言うか、それよりも生活に迷える人が多いからであろう。
宗教に関与しない、宗教の本一冊も読んだこともないのに宗教を語る資格もないが、
中には心奥ゆかしい宗派もあるようである。
それも私の知る限りでは十本の指もいらない。
私の家は先祖伝来、曹洞宗の禅宗である。
先祖が深く帰依したであろう仏門である。
私は先祖を敬い後生大事にしている。人間の真理は一つである。
色々と心の道を模索往来しなくてもよい。
否、我が幸せの道は人から教えられるものではない。
発想の連続のまま(思いのまま)行動すればよい。
これが定められた天命の道であるから生きることは難しいことではない。
それどころか本当に簡単である。重ねて言う。
発想の連続の行動(ひらめきの行動)が人体創造の核(神とも言える)から与えられた
毎日の生活である。この核は過去の業績は大事に温存し、絶対的土壇場では必ずこの
財を放出するのである。
この真理は数多くのESP友の会員が体験しているが新しき友のためにあえて言う。
人間は見えない心で運命が形成されている。
それだから唯我独尊の物欲で行動すれば一時は財なりても必ず没落を見よう。
もっとも不労所得に狂奔した人々の今時の悲運を察すれば分かるであろう。
人間社会は益々不透明極まりない。
心の誘導なき知識の洗脳に犯された結果である。
しかし、これから本当に人生の価値が現われる世紀に突入した。
どうしてこのことを堂々と公言できるのか。ま心は善意の想念ではない。
毎日の行動が心の現われであるからその行動結果、楽しく安定する。
偶然でも不思議でもない人間社会は、心の仕組みで流動しているから、人生の行動、
生活の中にいかに波乱の激動があろうともそれは幸福になるための試練の一過程で
ある。だから思ったことは何でも一つ一つが仕事である。
先のことを考えずその思ったことに集中すれば不安が入る隙もない。
したがって心は明るく、不動の自信が付くので不運が逆転するのに一年とはかからないで
あろう。世の中は移り変わりの激動はあるだろう。
ひらめきの行動は心の行動であるから、人為的世の変動を気にすることなく、すべての
人の心に順応する毎日が悠然と生活できる。
 
ESPは人間の心の尊厳偉大さを現わした
 
人間は困難、苦渋に直面した時は耐え難いものである。
他に救いを求めるのは誰でもの心情である。
神仏の信仰もあろう。しかし、それは理念の次元であるので期待するようなまた、期待も
しないような淡い望みでもある。だから未知の次元の業に頼る。
現象的でもないのでこのことを信じるより他ない。
しかし、結果は思い外れて失望する人が多いことだ。
それゆえか、この未知の次元の業を信じるより信じない人が多い。
本当の高次元の秘力であるならば特定の秘術者に頼らずとも人間であるならば自分の
身体の病気、生活の難儀はすべて解決し、解決した後、発展することができるはずである。
未知の世界の解明は人間の能力で分かるものではない。
神界も霊界も分かるものではない。分からぬからどうとでも言える。
ESPは未知の世界の核心を授かることができた。
ま心新聞新年号の私の言葉をそのまま昨年十二月二十一日、二十二日の大阪指導会
より今年一月四、五日の東京指導会、十一、十二日の福岡指導会に続く十七日の
札幌指導会に参加された七千余名の目前で難病施療を求めて挙手され、指名された
百数十名の病名如何にかかわらず全員に自己治療の方法を教え、即座に三十秒から
一分以内に病状を好転させることを本人が試したことで分かる。
また、その中で脳性麻痺で首も座らないもちろん歩く事もできない子供を、母親が
私の指導で僅か二〜三分で歩かせる事ができたことは、大阪で三名、東京で二名、
福岡で二名全員であった。医学でも治療困難な患者をその母親が何の手段も要さずに
私の教えのまま、我が子を思う母の強烈なま心一つで歩いたことに会場の全員が驚嘆し、
婦人ばかりでなく、男の人までどれほど多くの人が感激の涙をしたことか。
人間ができるものではない。挙手指名された患者全員百数十名が自分の病気を即座
(一分以内)に自分で治したのである。もちろん、病院から来た難病者も自分で治し、明るく
なり、喜んで帰っていった。難病を自分で治す。不可能な人は一人もいなかった。
この指導力は天よりの力である。ESP指導者の私とても自分の力ではない。
一体何のパワーであろうか。いくら考えても人間の頭脳では解明想定できるものではない。
天の心=神の心と思えば当然であろう。ESPが私の指導で誰でもこの神しかできないこと
ができるとなれば、人のま心は、やはり神の心であると思う。
ESPの力を世に役立ててから十七年になった。ESPに真実の幸福の仕組みがあることを
人類すべてに認め、分かってもらうためには事実の証明が必要だった。そのためには病苦
の解消が最高だった。一般の人に集まってもらうためには講演会が良い手段である。
昭和五十九年 「最後の超念力・第一弾」 の出版を機にその本の内容の現実と結果の事実
を証明するため、全国講演に勇躍廻り続けてすでに千回にもなろう。
会場内での病人の治療に当たったのが数万人になる。
その全部の人を治し、満足してもらったのである。
世の中で数千人の目前で難病の区別なく施療した人を聞いたこともない。
なぜか、完全に成し遂げなければならないからだ。成功率も八〇パーセント以上でなければ
自信喪失、敗北である。しかし、私にはその不安はまったく去来しなかった。
必至で夢中であったからであろう。ESP友の会員の皆様に誓ったことが今本番の行動と
なりました。神縁を得ていよいよ楽しくなります。
 
財団法人 生命科学総合研究所設立さる
 
私はESP(超常現象)の凄い底力に身を委ね、その心の流れのままに行動して十七年、
いつか必ずこの見えざる解明不可能な次元の事実こそ本当の人間社会であることを
理解し、協力者が現れることを願い、ただ、これ一筋に行動して、超常社会は人間生存の
条件、目的の不可能な障害を可能にする事実を実証してきた。
人間生存の条件とは一番に健康である。だから生命の危険は難病である。
私は当初から難病に苦しむ人を対象とし個々のみならず数千人の会場の参加者に、
この治癒能力を公開し、病気の症状の如何を問わず対象者全員に満足を与えてきた。
人間の私の能力でないので当然であると思ってきた。
実に、この事実公開指導(講演会・指導会)を続けて千余回になる会場の参加者は平均、
二千人であるから延べ二百万人となる。
この人達にESPの心で病気を治療したが驚きと喜びの喝采はあったが、誰一人として
この事実の前にESPの次元の心の威力を疑う人はいなかった。
去る四月十九日の韓国ソウル講演会の時、韓国ESP白支部長が、韓国にも外国から
超能力者や霊能力者など色々な人が来るが先生(私)のように、こんな数千人集まって
いる会場で参加者の病人を次々と治療する人は一人も来ないと言う。
しかり、我が日本もそうだ。なぜか、大衆の目前で不特定多数の人を治療しようと思えば、
どんな病人でも治療しなければならない。その病気はできないとは言えない。
人間の次元の能力ではないからだ。
なお治療してもその人の症状に変化が、対象者の一割もなかったら、もう参加者大衆の
観念ではなくなるであろう。
私は無意識に千余回、数千人の視線の中で公開し、今なお続けている。
集まられた大勢の皆さんの歓喜があるからだ。必ずこの高次元のESPの心は、現代医学
にも応用可能だからと医療関係者のご協力を得て病院設立を企画したのは三年前である。
ご理解ご賛同の開業医のお方も数名おられたが何分、医学の壁は厚く堅く、いつかは
この閉ざされた扉も医学で治療不可能な病人の命も救える道をつくればと、大きな希望で
懸命に行なってきた初心の努力は天に通じたのか、最大の協力者否、推進者の前大学
教授である岡本靖氏、また周辺の協力者のご熱烈なる努力で、去る四月三十日、財団
法人、生命科学総合研究所が設立認可されました。現代医学に私が指導する心の熱を
加えれば、人の命は心の熱によって形成されているので、この応用効果は必ずや確実に
生命の組織を現わすことであろう。
財団法人生命科学総合研究所の使命は現代医学に心の医学を併用し、難病治療に
新しい道をつくることであろう。心の治療に研究は必要でない。即、治療効果が分かる。
だから医学の難病治療開発研究に凄いスピードで寄与するものと信じる。
西洋医学は学問と研究の成果である。
心の医学は生命の組織を見通して心の命を創生した熱の発生での復調である。
両者の併用でまれなる最大の効果を挙げると思う。
この財団は行動の団体であるからESP友の会員の皆様のご期待に必ず報いることが
でき得ると思います。