ESPの心を永遠に Part.2 |
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迷いは心が空になる |
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最近はやたらに色んな話が多く、一々気にすれば何が何だか分からなくなる。 |
つまり、話の本筋が不透明でその話が何を目的としているか分からない。 |
その渦中にいると行動の意欲も散漫で余り楽しくもない。二十一世紀は情報時代と言う。 |
寸秒にして幾万の情報が人間の頭脳に殺到する。 |
頭脳に半導体の能力があれば気にしないが、それは人間形成から思考しても無理だと |
言わざるを得ない。人間形成の中枢は心だからである。 |
情報過多は複雑多岐を呼ぶ。それでは発想即行動どころではない。 |
迷い、決断が出ないのは当然で、やろうという強い意欲は空しく、自信ある行動はできなく、 |
無駄な日が重なっていく。これでは発展も画策もない。 |
あまりにも情報とハイテクはアンバランスである。 |
このアンバランスは今始まったばかりの中東の湾岸戦争にもはっきりと露呈した。 |
ブッシュ大統領もフセインも最後の勝利は神のみぞ知ると言い、神の加護に頼って |
いるのである。昨夜 (一月二十一日) のNHKの湾岸戦争のニュースの中で見たのは、 |
イスラエルのユダヤ教の信徒の人達がハイテクの武器も神の祈りには屈服するという |
強い信念でのデモであった。まだ戦争は始まったばかりである。 |
それなのに人間の力の限度を知り、結果は神に依存している。神は正義のみに味方する。 |
人間の勝手気ままはこの世界の激動の中でも横行しているが、双方とも勝利を神に |
祈りながらの破壊と殺し合いだ。人間どもは不思議である。 |
どちらが正か邪か、その問題よりも、人類共通の幸福と平和の願いに背を向けながら、 |
人殺しをやりながら、果ては天佑神助の祈りである。 |
神とはそんな勝手が罷り通る便利屋でもあるまい。 |
湾岸戦争への反戦の思いでの意思でもないが、権力者や支配者の人間の小さな恥部が |
究極には現に露呈しているからである。二十一世紀は心の時代だ。 |
人々が望んでも望まなくても必ずや意識しようか、無関心でもそれが現実となる。 |
なぜか、真実を無視した外見的な教養の驕りと人間の頭脳の極限を超越した科学は |
人類を滅亡させる。 |
それらがちらつく湾岸、バルト三国の昨今の激動である。 |
しかし、私はこの激動に危機も感じていない。 |
それよりむしろ二十一世紀はバラ色で楽観的で心がほのぼのとした心の豊かさがある。 |
ESP友の会員の皆様にはいつも天佑があり、また、人間業ではできない神業が自分で |
できる。これはESPの領域内だけである。 |
なぜか、人間の教育は所詮人が知識を指導しているから限度があるのだ。 |
限度は心の範囲内である。限度を超えれば自己煩悩の暴走である。 |
この縮図をいやというほど見せられている毎日の世界のニュースである。 |
まして人は知る権利はあると言いながら高官に対しての報道関係のお偉方の |
状況質問にはもう胸が痒くなる。ESPの胸の思いはきれいだからである。 |
天佑神助が毎日あるのはESPの仕組みである。 |
ESP友の会員の皆様よ!天佑はあなたの心の中にある。期待してはならない。 |
ま心の行動は思う通りになるのが当然だからである。迷わずついて下さい。 |
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大きな心に迷いはない |
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ひらめきの行動の意味はよく分かる。 |
しかし、今までの習性からして賢者は何か軽挙妄動のはしたない無策の言葉のように |
受け取られると思う。 |
ところがその行動の原点は大きな心でなければ本当のひらめきは湧き出ないとなれば |
分かるであろう。 |
能力の知識の蓄積、心の教育は最も必要ではあるが、昭和一桁の時代を知る者は |
何事も大事にし、対人協調を生活の基本とし、行動は質実剛健、生活は勤倹貯蓄を |
旨とせよと教えられてきたのを良く思い出すでしょう。 |
このような便利過ぎ、満ち足りた生活は科学の発達の成り行きであるので、今更 |
五十年前の心に戻れと言っても無理ではあるが、人生の共通の目的である幸福に憧れ、 |
一日も早く楽しい豊かな生活をしたいと一日、一日を生きてはいるが、価値あるとは |
思えない毎日である。 |
もっと素晴らしい生き方はないのであろうか。 |
しかり、ESPの仕組みの中ではあまりにも、不思議な不可能が可能になる現象を |
見せられるので世の中が楽しくなってくる。 |
予期もしない楽しい事が起こり驚く事が奇跡でも偶然でもなくなった。 |
ESPの仕組みの中の人々にだけこの楽しい人生がなぜあるのだろうか。 |
大きな心のままの生活の行動であるからだ。 |
教養を謙虚に、物欲は人から与えられるから何人も大切に迎え、大事にすれば自ら |
この大きな心が蘇るでしょう。慌ただしい人間社会の中ではやろうと思っても難しい。 |
なぜか、人間成長の若い世代に無用な知識まで強要され、経済構造は唯物、自己中心で |
あるから常時経済闘争で弱者は疲れるから頭脳が空虚となり、尊いたった一度の人生を |
幸福の女神から見捨てられ哀れな敗残者となる。 |
非情過酷な人間社会であるが、これは人間が物理、自我の生活中心で造った社会で |
あるからこのような望み果てない世代である。 |
この世代に慣れ切った人々に言う言葉は今は私にない、その余裕もない。 |
どんな良い事を教え、勧めてもやろうとしないのが人間の習性だからどうしようもない。 |
世界が激動に大きく揺れ始めた。 |
会議で変わらず、行動で変わっていると言ってもよい。 |
ESP友の会の人々は、私がこんなに言わなくてもお分かりと思う。 |
ESPこそ人類の生き方である。 |
人の喜びに導かれる生活であるから、いつの間にか思わぬ事が思うようになっている。 |
不安なき生活、人々の喜びが直ちに自分の生活を楽しく守ってくれている。愉快だ。 |
ESPに集まる人々にはこれから私の指導の本番が到来しました。 |
その本番の使命は人間創造以来初めて一人一人がひらめきの行動で対人調和、協調で |
素晴らしい人生が築かれるからです。 |
世の中は本当に成るようにしかならない。また、成るようになるのです。 |
これが大きな心です。 |
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ひらめきがま心の行動だ |
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誰でも子供の頃から人間は良い心でなければならぬと色々な方法で心の持ち方を |
教えられた。しかし、大人になりその良心が嫁すんだうな気がする。なぜだろうか。 |
小学校で習った心の教えは明るく清潔そのものであった。 |
社会教育での心の教えは重くなり、私は宗教の本は全然読んだ事がないが、宗教は |
心の教え中心であると思われるが傍観すると何だか別の世界の教えのような気がする。 |
朝の宗教のタイムで高僧の話を聞いていると特にそのような気がする。 |
あまり立派な講話で何だか俗界から抜け出したような自信喪失の空しさを感じるのは |
現実の経済構造、企業闘争の明暗不透明の常々のためであろう。 |
ここまで書いたら教養の真心の温容如何は言うまでもないと思うが、端的に言うならば |
人の心を究めてどうなるだろう。また、不明朗な心を人の教えでまったく正しくすることが |
できるだろうか。よほどの謙譲心がなければ外面だけではないだろうか。 |
心理学、哲学研鑚しても人生の処世に関係はないと思うのは小生だけではないだろうか。 |
私には人の心を学びえる教養の真心は美徳の影に自分という存在(我執)が散見される。 |
斯く言っても人間は所詮人間だ。 |
教えられ、理解、納得してこそその造られた教養を賛美する。 |
形にこだわる人間社会だ。仕方あるまい。 |
教養の心は戦争は駄目だと言っても有史以来、今尚戦争が続き、たった一度しかない |
命を戦場で亡くしている。残酷だ。教養はそれを分かっていても止めることはできない。 |
それよりも会議が長引くのは人間の英知の魅力、勇気も消えかかり中々難しくなる。 |
ベルリンの壁から始まった湾岸戦争から今日のソ連の激変を見れば、本当の人間の |
は心教養から生まれるものではないと言える。 |
先日社会的に活躍しておられる知人が来社、私と対談中、私が近頃の世情は何か |
詰まったように不透明で重苦しさを感じませんか、と話したら自分もそう言われれば |
そんな思いがすると言う。 |
話が進み、世界の激動から国内財テクの崩壊、銀行の乱脈、証券業界の不信などを |
考えれば斯く思うのも当然かも知れない。 |
いやこれが良くなるための過程と思えば耐えることもできるが、私はこれが二十一世紀の |
黎明だと思い、益々意欲が情熱的根性に転身し、毎日が楽しい。 |
なぜだ。二十一世紀は万人が予期する如く心の世紀であるからである。 |
心、即、ま心はどこから発生しているか分かるものではない。 |
肉体と別のものだと言うことは誰でも良く分かる。 |
兄弟姉妹同一の心ではないからである、それではどこからだろう。 |
数万の動物の中の人間だけが万能の心があるから宇宙創生の中から生まれたものでは |
ないだろうか。そう考えれば宇宙には創造の仕組みがあるということである。 |
宇宙への思索を追えばそこに地球上の森羅万象すべてを支配している見えざる大きな |
エネルギーが動植物なおまた、機械科学、気象現象まで支配されている。 |
ESPの中でその事を思えば事実となって現れることで宇宙には仕組みがあることが |
解明できる。大宇宙の中で人間だけが幸福への万能の心を授けられている。 |
だからその心に忠実になれば宇宙の仕組みの中の人生の幸福が無限に可能になる。 |
それがひらめきの行動で愉快な一生が続くから行動が真実のま心である。 |
誰が何と言おうと私に他の解決は関係ない。だがESP友の会員だけ信じればそれでよい。 |
この事は二十一世紀が証明する。 |
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