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最後の超念力 第三弾 Part.1 |
| 石井普雄先生・著作の「最後の超念力 第三弾」より抜粋致しました。 |
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一冊 \ 1,100 (税込定価 816円+送料 284円) |
| ESPに頼れば幸福になるのが早い |
| どこの講演会でもこの力を判ってもらうためには事実しかない。 |
| 第一弾・第二弾では、このESPパワーで難病が治った人達の体験や感謝の手紙が本の |
| 記事の大半である。この事実を確認してもらう手段は会場にいる人の難病者を皆さんの |
| 目の前で救う以外にはない。 |
講演と指導時間は約二時間三十分。その中で五、六十人の難病者に対応している。 |
| もちろん医薬で治らず、苦しんでいる人ばかりであり、胃癌、肝臓癌、脳性麻痺で |
| 歩けない幼児、声が出ない、耳鳴り、難聴、リューマチ、難病指定の患者、整形外科の |
| 患者等々、果ては薬害患者、手術後遺症に苦しむどんな病人が手を挙げられるか、 |
| 判らない。ESPは超念力、超能力の人知を超えた力の治療である。だから病人は一回で |
| すぐ治るのだと思う。六十人いれば六十人がその席で二分以内に治る人もいる。 |
しかし、すぐ治らない人でも七十パーセント以上の治療効果を即刻体験させることが |
| できる。信頼の満足感を得ることができなければ、ESP科学研究所の生命はなく、 |
| 存在はなくなる。私一人であればよいが、今ではESP科学研究所のもとで生活している |
| 人は二千人を超えている。なくなればその人達の生活の場もなくなるのである。 |
| こういう命を懸けた講演会を続けている私である。悲壮か、大胆か。 |
しかし、私には自信がある。なぜか。 |
| 自分の力ではない、授けられた力であると確信する絶対的不動の信念があるからだ。 |
| それだから人々の幸福のためならば、何事でも不可能を可能にすると強い信念を |
| 捧げた毎日である。こんな楽しいことはない。 |
| 授けられた力であるということは、超念力、超能力、また霊力にも何の興味もない私が、 |
信仰も修行、訓練もなく一夜にして人の病気を瞬間に変えるようになったからである。 |
| ESPから発生した器具はあなたを幸福に導く商品であって一般に言う商品ではない。 |
| あなたの心を顕現する前代未聞の神器と言っても過言ではない。 |
| 科学によって押し流された人間の心は二十一世紀の宇宙時代であっても今なお、 |
| 心の時代だからである。 |
心の力は地球の真ん中のマグマに神の心を授けた同様の力だからである。 |
| 神の世界も、宗教の世界も、人間の世界も、あなたの生活の中にある |
| 宗教の教え、また本を読むにしても教養という心で受けるから、その知識は人の中に |
| また日常の生活の中に現われない。 |
| なぜ現わすことができないのか、世相と合致しないからである。 |
| ESP社会とは分からない言葉であるが、字の如く、不可思議現象社会だから、説明も |
理解もない。まったく事実のみが現われる。 |
| 不安のない、苦労のない世の中が、あなたの今の生活の中にあるので、今のままで |
| 人々に対して、楽しく振舞えばそれがESP社会の行動である。 |
いつしか無意識に自分のことを忘れていることに気付くはずである。 |
| これが「ま心」のあるあなたの姿なのだ。 |
| 周囲も明るく、あなたの顔の色も鮮やかである。 |
| これで人の心も、あなたの心に包まれている。 |
ESP社会での生活が思う通りになるのも当然と言えるのである。 |
| 大方の人々はこの事実を聞かれても、自分には起こりようもないし、できるわけもないと |
| 他人事のように思われるが、どうしたらよいか迷い、自分の考えで生活をよくしようと |
| 思うから難しくてできない。 |
| ESP社会ではなぜ何もなくて、こんなに生活が急変するのだろうか。 |
| 早く言えば人間社会は他人の集合体である。人は皆豊かで楽しい生活を考えている。 |
物や、金があってこそ楽しい生活ができるのだと思い、どうしようかと手段を考える。 |
| 生きる手段とは自分だけの欲望で、甚だしきは、人はどうでもよいと思う人もいることだ。 |
この世は外面菩薩内心夜叉の如し、生存競争と言うのはこのことだろう。 |
| 人間社会は連帯社会であるのだから、相互扶助の美徳があれば、毎日が楽しいはずで |
ある。思ってもなかなかできないのは、それは意識的行動であるからで、相手の心に |
| 深く通じない。 |
| 人との話を明るく、楽しく、喜びの中に進めることが、できることが共に幸せの街道を |
| 歩いている。もちろん自分のことは忘れている。 |
またいつの間にか自分の仕事が良い方に向かっている思いがする。 |
| 話の内容に自己主張は避け、相手の望みを中心に考え、楽しくすることを常に心掛けて |
いれば、仕事は楽しいものである。それで発展しないことはない。 |
| 前にも述べたように、私は宗教に関心を持つ余裕はなかったが、宗教の姿は美しい。 |
自分を忘れた行動だからである。 |
神の世界も、この人間社会の中にあっても自分が思うことに夢中になれば、心も安定し、 |
| 冷静に物事を観察、対処し、迷うこともない。 |
そこには、雑念の気配は湧かない。 |
| 自分でも不思議な考えができる。これが発想である。心から生じた美しい考えである。 |
誰でも仕事をしている時や道を歩いている時、不意にアッと思うような考えが強く、 |
| 頭に浮かぶのを覚えておられると思うが、自信と積極的行動となり、思うようになる。 |
| あれこれ、考えた末の行動ではないということは、自然の行動で、その中に人間的社会に |
汚濁された意識がないので愉快だ。 |
神の世界も、今のあなたの生活の中にあるという、確固たる理由はこれである。 |
| 常に発想即行動がなければ、この幸福の道標である天の啓示は、現われてこない。 |
| 発想即行動の人に能力の差はない |
| なぜなら自分の知恵で行動していないからである |
| 人々は社会生活を豊かにするために、懸命に研究努力をしても中々思う通りにならない。 |
| 極端な言葉だが、人間の知恵の葛藤だからである。 |
| 人間が人間に訓練された能力には不可能が多いということは、人間的教養には極限が |
| あるということである。 |
| 極限を超越した頭脳の働きは、人の心が物理的に凝固され、過剰教育で行動力が |
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なくなり、やたらに自分の主張を無理やりに通そうとするような慇懃無礼の行動が |
| 多くなる。心空しき処世ではこの世は思う通りにならない。る。 |
| 苦労重ねの不透明な人生であこの人生論は私が今更言わなくても誰もが判り、苦しんで |
| いる。それではどうすれば良いのか。 |
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人間社会では心の不安は絶えないが、ESP社会ではこのような不安のない、希望に |
| 満ちた明るい人生になる。 |
| 不可能が可能になることは奇跡でも、偶然でもない。 |
| 「成るようにしかならない、しかし成るようになる」。 |
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現在の人間社会にこのような悠長な人生哲学は通用しないが、ESP社会では迷わず |
| 人事を尽くせば思う通りになるのである。 |
| ESP社会はま心の社会だから当然なのだ。 |
| ESP社会の教育は事実に基づき、そのことを証拠として、在り方を教えているのである。 |
| だからあなたもそうしなさいと、毎月各地の講演会や特にESP友の会指導会では事実を |
| 示して指導し、即事実を体験させており、これほど確実で絶対的な教育はない。 |
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